中本直樹 イオシスロゴ前

学校も辞めて、一文なしになって、そこから創業

──出身地は?

大阪市です。

──趣味は?

ゴルフと釣り、あとドライブですかね。 実はギターも少し弾いたりします。中学くらいからなんちゃってバンドをやっていて、 ドラムもしていました。昔は作曲とかもやってたなぁ。 BOOWYやX JAPANとかのコピーもやっていて、高校くらいからちょっと本気でやり出してスタジオとか行っていましたけど、 途中からはバイク乗りになって、高校中退しちゃいました。(笑)

──影響を受けた人物は?

松下幸之助さんかな。 小学校くらいからエジソンとかの偉人伝の本が好きで一通り全部読んでいたんですけど、その中でも特に印象に残っていました。 商売をただの金儲けの手段じゃなくて、お客さんとか従業員とか商品とか、 それぞれに対する考え方が哲学にまで昇華しているのがすごいなって。 自分は無宗教だけど、ひいばあちゃんがお寺とかやっていたので、ちょっと哲学的な思想を持つ感覚があったんです。 それだけは金にならんって思っていたんですけど、幸之助さんの本読んで商売と哲学がピタッとくっついたので、おもろいなと。 目標や組織、リーダーの基本的な事がそこに全て書かれているって感じ。 うちのじいちゃんも商売人で小さい頃色々影響を受けましたけど、同じ大阪人やし、 幸之助さんとちょっと言っている感覚が似ていたのも良かったのかもしれないですね。

中本直樹 インタビュー1
中本直樹 インタビュー2

──ご両親も商売されていたんですか?

僕が子供の頃、世の中はバブルだったんですよ。 当時は親父がフランス料理屋、ピザ屋とかいろいろやっていて、おかんは今もブティックを経営してデザイナーもしています。 当時の商売はよく儲かっていたと思うので、その時はちょっとしたお坊ちゃんっぽい感じで習い事だらけだったんです。 家庭教師はもちろん、ネイティブの英語の先生もついていたり、水泳から書道から一通りやらされました。 小学校でパソコンを買ってもらってゲームプログラミングなんかもしたし、中学ではゴルフスクールに通わせてもらったりとかも。 そんな自分がなんで高校中退になったかっていうと、バブルが崩壊したと同時に所有不動産の下落もあって、 ウチが破産状態で借金まみれになってしまったんです。 お金の怖さもその時知ったし、色々反抗的になったりして、学校も辞めた。 それでお金も無かったし、働こうと思ったんです。

──最初はどういうことをされてたんですか?起業のきっかけは?

20歳くらいのとき、当時勤めていたパソコンショップがあって、 産廃屋のおっちゃんが買取をしてくれとパソコンを持って来ていた。 当時の社長に相談したら「お小遣い程度を払えば良い」って言ったんです。 「それはないやろ」って思いながらも安い金額を伝えたら、なぜかニコニコして帰っていった。 当時はまだパソコンの価値が知れ渡ってなかったこともあるけど、それよりもおっちゃんは産廃代として既にお金を回収していて、 その上で買取屋に売るからまた儲かり、さらに実際の産廃代も浮いていたんですよね。 ほんまはそんなことしたらあかんけど、そういう事が当時はあったんです。 働いていた店はパソコンの現金問屋(バッタ屋)で、メーカーや卸業者が滞留在庫を買取屋に渡すことも多く、 現金さえあれば儲けることができていた。 僕もこの商売をやりたいって思っていたんですけど元手がなくて、 それで産廃屋のおっちゃんと組んで商売を始めることにしたんです。 手持ち資金7万円から始めてすぐ、1,000万円くらいは貯まったかな。 2年後には法人化をしました。

ゲームなんですよね、そもそもイオシスは

──店名のイオシスとは?

個人商店のときから「イオシス」ですね。創業当時は 「パソコン通信」の個人売買の掲示板で取引をしていたんですけど、明らかに個人じゃない台数になってきたし、 そろそろ店名をつけようってなった。それで当時のOSに、IO.SYSっていう重要なファイルがあったから、 PC業界のそういう重要な存在になれればいいなと思って「イオシス」にしました。 というのと、当時よく飲んでいたとあるスポーツドリンクの影響も。(笑) ロゴはよくあるリサイクル会社のイメージで、 最初は矢印を丸く書いてたりしていたんですが、あまりにも一般的すぎておもろないなと試行錯誤を続けた結果、 矢印が円を飛び出してしまった。 突き抜けていこうぜっていう意味で、まぁいいかってなって決めました。(笑)

──携帯を扱い出したきっかけは?

当時は中古パソコンの競合他社が増えていたので、大阪だけでやっていると狭いなと思ってまず秋葉原に出ました。 秋葉原でなんとかやっていましたけど、昔からやっている大手の会社もあったし、なかなか業界上位には立てませんでした。 さらにパソコンの低価格化も進んで商売がキツくなってきた時、ちょうど携帯電話が本体代金を表示するようになったんです。 さらにSIMフリーの存在を知って、買付のために香港に行ったりもしていました。 そしてSIMフリーを仕入れたりとか買取を始めたりとか、試しにやってみたらコレはいける、と。 しかもこの商品で勝負をしたら大手を超えられるなと思っていたら、iPhoneの初代がアメリカで出て、 「これはもう完全にパソコンやんか!うおー!」ってなって本気で動き出したんです。 その当時は誰もやっていなかったオリジナルのタブレットやスマホも作ったりしましたね。

中本直樹 路地裏店リニューアル
中本直樹 思い出の写真

──イオシスはどんな会社で他の会社とどう違うのか?

うーん…違うっていうか、自分が注力してきたことは、商売にゲーム感覚を入れた事かな。 ウチのスタッフはみんなすごく数字に対してシビアなんですけど、その意識がなぜ高いのかは、上司から言われたとかじゃなくて 自発的に高めていってくれているんだと思います。 ゲームで言うと経験値を積んでレベルアップしたりとか、ゴールドを手に入れたりするのと同じような感覚の要素を 人事制度に取り入れてみたりもして、 自然にその人たちが楽しめるような環境を作ろうとしているっていうのはあるかもしれないですね。

──ゲーム要素が入ってる感じなんですね。

そうですね。自分が一番好きなのはロールプレイングゲームで、 制作側として一番重要なのってストーリーとか世界観とか、キャラ設定だったりとか、 あとは難易度設定とかが大事だと思っているんですよ。 そしてユーザーを飽きさせないようにする。 これって会社づくりも一緒で、みんながなるべく飽きないように努力しています。 そういう意味ではゲームなんですよね、そもそもイオシスは。 ウチのスタッフってけっこう楽しそうに働いてくれていて、 「うお、儲かった!」とか、そういうゲーム感覚で仕事をしてくれているのは、すごいよかったなって思いますね。

日本一のリユーススマホのおもろい会社をやろう!

──イオシスに必要な人材は?

会社がもっと小さかった頃から、バランスが良くない、尖っている人を採用していました。 頭が良くてバランスの良い、一般的にいう「優秀な人材」は当然大企業に行くことがほとんどなので、 中小・零細企業には来ない。だったら逆にバランス悪くて尖っていてもいいので、おもろい人とか、 何か特記すべきモノを持っている個性の強い人を採用した方が、幅広い個性がある強い会社になるのではと思ってそうしてきました。 なので、今後も幅広くいろんな個性や才能のある人にきてほしいと思います。 今は何も無くても、やる気と興味があれば中に入ってから商売人を目指して頑張ってもらえばいいですし、 今はSEやWEB制作など技術的な仕事をする部署もあるので、商売人的じゃない人も全然働けます。 僕は外見とか国籍とかそういうものではまったく見ない。中身の個性を見て採用しています。 いろんな人がいて、「日本一のリユーススマホのおもろい会社をやろう!」っていう目標を共感してくれたらいい。 どんな人でも来て楽しんでもらえるゲームだと思ってイオシスを創っているので、一緒にそれを創れる人ならなお良しですね!

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